野村四郎エッセイ「逍遥の思い」2007

逍遥の思い
野村四郎


 藝大で新曲浦島を上演する、と風の便りに開いた。まさか演出で関わるとは。
 実は坪内逍遥を繙いたことがない。早速に台本を手に入れ黙読。先づ膨大な枚数に肝をつぶした。藝大大在任中に邦楽アンサンブルと称し邦楽科挙げて幾つかの作品を発表した。然し逍遥の作意は私の想像を絶する作品である。スケールの大きさ、綿密な舞台構築、正直恐れをなす。西洋文明の押し寄せる明治時代にあって、国劇の危機を感じたのであろう、明治三十七年に新曲浦島を発表した。

しかし問題提起した作品も当時の人達の理解を得ることは出来なかった。言わば時期尚早であったのであろうか。後に六代目菊五郎によって龍宮城の場が上演され、又長唄、日本舞踊でも演じられたが、何づれも作品の一部小段を演奏する形式である。今回の公演は全曲を通して上演する。本邦初演であり、芸能史の足跡となるであろう。

 逍遥は日本芸能と西洋音楽のコラボレーションを明治時代に創造したのである。まさか平成の世に作品が開花するとは、正に先見の明あり。台本には日本芸能の総べてが網羅され、それに洋楽、多種多様に書かれている。変化に富む面白さは抜群である。難題は各パートが切れ切れになり繁りが悪くなる恐れがあるところにある。開幕から水脈が滔々と流れ終幕へと続くというのが、作品の基本的な私の考え方である。それぞれの特性を生かし、音楽劇として、ドラマティックな面と音楽の調和が大事で逍遥の創意もここにあると思う。

 台本には無く新たに注入した演出は、龍王.海神の主.の登場で、これは象徴性と崇高な世界をより強調した考えである。又今公演の特出は逍遥本人が現われ、自身の心情と作品に対する理念を語ることである。
 浦島、実は逍遥自身であるとも…………。

 過日早稲田大学演劇博物館に逍遥の遺品と文書を拝見に行き、故人の筆跡に旺盛な生きざまとエネルギーを感じ、心打たれた。河竹登志夫先生が或る冊子で、「逍遥はもともと厳しい人だったから、怖くて人が近寄らなかったよぅです。
 晩年の逍遥は孤独な人だった」と語っておられる。この度の記念公演は没後七十余年を経てやっと思いを遂げたのである。

 逍遥翁、鎮魂の浦島です。

(新曲「浦島」公演プログラム掲載)
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注:新曲「浦島」(原作・坪内逍遥)は、2007年9月13日18時30分より、東京藝術大学奏楽堂で公演された。「和楽の美藝大21」と称する東京藝術大学創立120周年企画のひとつであり、藝大の音楽学部の邦楽と洋楽両部門が協働出演し、美術学部の舞台製作によるコラボレーションであった。野村四郎師は演出、台本制作そして出演(浦島の尉)したのであった。(伊達)