DS でははじめに、能の歴史についてお話しいただけますか。
野村 能は、奈良時代に中国から伝来した散楽が、その後日本古来の芸と入り混じり、独自の芸能として培われてきたと言われています。もともと散楽は曲芸から奇術などの雑芸だったそうです。その散楽の散の字がなまって猿楽、または申楽になったという説もあります。申の字を使用したのは、日本の芸能の起こりが神楽にあるということからきていると世阿弥(ぜあみ)は力説しています。
そして猿楽は、時代の流れの中で田楽や様々な芸能の影響を受けながら発達してきたわけです。能楽と呼ばれるようになったのは明治時代に入ってからのことなんです。能は、時代時代の歴史そのままが能の歴史であると言うことができますね。時代時代に生きてきたから、現在があるわけです。そして、能は今も生きていると私達は信じています。
その時代の感動ですとか人の心を揺がすような何かが能にあったから、600 年という長期にわたって生きてきたわけですし、また評価されてきたわけです。現代だけで物事をまとめるのではなく、過去と未来があって、その中に現代があるということを忘れてはいけませんね。
DS 600 年前の能と現在の能ではどこかに違いがあるのですか。
野村 世阿弥以前の能というのは、大衆の中にありました。そして信長が戦国の世を平定した以後の能が、現在の能にかなり影響を与えているのではないかと思います。時代で分けると、現在の埠の創始者と言われる世阿弥時代の能と、それ以後の江戸時代、そして明
治時代、大戦前、戦後に分けることができますね。
江戸の300 年は閉ざされた時代でした。つまり鎖国時代というのは能にとっても鎖国時代であったわけです。儀式用として能が武家の式楽に定められ、政治を司る儀式のための芸能になったんです。つまり、国家公務員ですね(笑〉。そうなると「これをやれ」と言われたら絶対に従わなければならない宿命がありました。武道も元は相手を殺傷するためのものだったんですが、江戸時代になると、その意味も精神修行的なものに変わってきましたね。
能も然りなんです。逆に、明治以後は開かれた時代と言えるでしょう。抑制された能から羽ばたこうというエネルギーが江戸時代以後に非常に強く現われます。しかし、能役者は活動する場所を失い、ある者は転職したりと大変だったようです。近代の能の幕開けは、惨憺たるもので、私の祖父は鉄道省に勤めたりしたそうです。
大戦以後は、世阿弥の頃もしくは父である観阿弥(かんあみ)の頃のような、ドラマチックにものを考える時代が釆たと私は考えています。それが、私が指向している能の一部でもあるわけです。
DS 600 年前から現在も尚伝えられている能のテーマはありますか。
野村 能の大きなテーマは、「生と死」ですね。人間は、生と死を切り離してものを考えることはできません。生まれた時には、もう死に向かって進んでいるわけです。つまり、死をテーマとして選ぶ作品が多いということは、「いかに生きるか」ということの裏返しなのではないかと思うわけです。ある意味で、能は人間の哲学というか、宗教心のようなものを布教している部分もあるわけです。
言葉は通じなくても心と心で触れあうことができますね。
DS 外国の方にも能を観ていただくようになり、それ以前の能とそれ以後の能に変化はありましたか。
野村 昔の能役者は、能以外のことには手を貸さないものでした。しかし、現在の状況の中で、私達役者のあるべき姿というのは、今日どういう政治情勢なのか、また、世界の演劇の中で能はどういう位置にあるべきか、何をするべきかを考えていかなければならなく
なりましたね。また、いろいろな音楽を聴いたり、絵画を見たり、能とは違う世界のものを見聞きし、刺激を受けて自分の感性を鍛えていかなければならない時代になりました。
DS 今までにも数多くの海外公演を成功させていらっしゃいますが、日本で演じる時との違いはありますか。
野村 能の舞台というのは、観客席の中に突起していますが、西洋めステージは全て額縁のステージですので、能の舞台を額縁のステージの中に組むわけです。するとちっとも観客の中に融和していけないんです。これが一番の問題です。
このように舞台の条件も違いますし、気候も風土も違います。そして、もちろん言葉も音楽に対する感覚も違います。しかし、心と心で触れあうという部分では、心に壁はないと思いますから全く通じないわけではないんです。ですから言語を超えた心に訴えていくわけです。
能というのは舞う部分が大きな要素を持っています。そこで言語中心に進める日本の場合とは違い、西洋で公演する時は、舞とドラマの両方を兼ね備えたものを中心に選曲していくわけです。例えば、原語によるシェイクスピアの芝居やオペラを観たとしても、言葉はわかりませんが、マイムはわかりますね。そしてメロディーは、聴覚を通してハートに訴えかけることができます。
私は、オペラにしても能にしても、“匂い”があるんじゃないかという気がしているんです。普通は視覚と聴覚ですよね。そこに嗅覚、匂いを感じるのです。オペラを観たときに、何か匂いケが伝わってきたような気がしました。どこの国の言葉であっても、セリフは、この“匂い”を伝えるものですね。料理で言うとスパイスのようなものです。
音には感情があり、感情は音に含まれるものですから、ひとつひとつの言葉の意味はわからなくても、感情を通した音として聴くことができるのではないかと思います。
DS しかし、外国の方に能を理解していただくのは、とても難しいように感じますが。
野村 能には外国語の解説書とか台本はあまり用意がありませんので内容を理解していただくのは確かに難しいですね。ただ、能は非常に古い言葉を使っています。ということは、日本人でも現代の人にはストレートに入ってこないんです。例えば生死(しょうじ)という言葉があると、“生きると死”という意味だということは漢字を見ればわかります。
しかし、能面を付けて(本来は面おもてをかけるというのですが)いますので非常に聞き取りにくいわけです。あたかも外国語を開いているようだという人もいます。外国の方はもちろん、日本においてさえ言語の壁があるわけです。そうなると、やはり言葉を超えて訴えていく旋律ですね。旋律というのは心の動きを表現していますから、そこを強調していくのです。
しかし、日本人が明るいと感じる日本の曲が必ずしも外国の方に明るく聞こえるかというと、そうではないんです。また、現代人にとって音楽と言うと、西洋の音楽を思い浮かべる時代ですから、日本人の方がいくらか言語の通達ができるという違いだけで、外国の方に限らず日本の若い方にも理解していただくのは難しいということはありますね。
DS 外国の方をはじめ、一般の方に理解していただくために、何か工夫されていることはありますか。
野村 日本の劇場の設備をもっと整えて、同時通訳などをイヤホンで聞かせたりできると外国の方にももっと楽しんでいただけるようになるんでしょうね。現在も日本人用には、パンフレットなどがありますが、そうなると、今度は舞台とパンフレットの解説を交互に観るということになり、舞台を観ている時間が少なくなってしまうんです。それは演技者にとって非常に残念なことなんです。能の動きは、一見スロースローなんです。しかし、じっと観ていますと、いつも変化しているんですよ。
現代人は時計の針に例えると、チクチクと動いている長針です。反対に能は短針なんですよ。ところが気が付いたら30 分も経っていて、こんなに動いていた、なんてことになるわけです。
そして、役者の体の中は、常に秒針のように動いているのです。表面は非常にスローなんですが、役者の中では非常に速い速度で動いている。つまり、ほとんど静止しているように見えるときの緊張感が最も高いと言えるでしょう。これが能における舞の一つの考え方でもあるわけです。
DS そのようなスローな動きは、能の大きな特長と言うことができますね。
野村 そうです。静かに舞う時には心の中を激しく燃やし、激しく舞う時には心の中を静かにしてやる。これは、普通反対ですよね。ここに、能の哲学があるんです。能には、このような表裏一体とでも言いましょうか、逆説が必ずあるんです。一般の演劇は表でやりますよね。しかし能は表面より裏面を大事にする。これが能の世界なのです。能がわかりにくいという理由が、そこにあるのではないかと思います。
現在私達が演じている能は、世阿弥時代の高度な曲が中心になっています。
DS 非常にスローな能の舞は、古くから伝えられてきたものをそのままの形で演じているのですか。
野村 観阿弥の時代はもっと具体的で、説明的だったと思います。世阿弥という人が現在われわれが演じている能に最も近いものを創造したのですから、それ以前は観世流という流儀だけを取りましても、非滞にものまねを基本とした能を得意としていたわけです。そうした時代の中で世阿弥は、文化人にもっと観てもらえるような幽玄とか、わび、さびという高度な能の世界を創造しなければならないと思ったのでしょう。
そして世阿弥から1~2代後になると、登場人物が多くなり、ストーリーのわかりやすい、華やかな作品が創られていったんですよね。劇能ともいえる能が多く創られました。その時代には、世阿弥時代の作品に対する抵抗ということもあったわけです。また、時代が要求したのでしょう。
ですから、能は観阿弥時代と世阿弥時代、その後の1~2代で大きく変化したということですね。そしてこの時代でほとんど作品の創作は止まってしまったわけです。江戸時代にもたくさんの作品が創られたそうですが、ほとんど今は残っていませんね。
そして今は、古い作品の発掘運動が非常に盛んなんです。古い埋れていた作品の再興、再登場という時代ですね。
DS 現在は、新しい作品が創られることはないのですか。
野村 新しい作品もあるのですが、古い作品の再生から考えるとずっと少ないですね。例えば「鷹の泉」という作品がありますが、これは詩人イエーツが創ったものなんです。イエーツは能に刺激を受けて詩を作り、それを能に仕立てたわけです。このように能の世界でも西洋の文化とのドッキングが行われているのですが、数少ないですね。
また、能は文学や演劇、音楽としても面白い素材ですから、明治になってからある英文学者がマクベスを能に仕立ててやるというような、リアリズム演劇が我が国に入ってきました。現在の新劇の中では、能や歌舞伎の様式を活用するといったことが行われているようです。しかし、純粋な能の新作運動というのは、無きに等しいと言えるかもしれません。
DS 同じ作品でも、時代によって違いが生まれるということがあるのでしょうか。
野村 もちろん、演技や、節、旋律が同じであっても、時代によって変わっていきます。それは、人の心が変わるからなんです。一生のうちでも二十代で演じる「井筒」と、五十代で演じるのでは、変わらないわけはないですよね。私は本を読むことがとても大切だと
思っています。役者の場合、セリフを頭に入れます。すると、機械的に文章が音として現われ、内容を深く考えなくなりがちなんです。
しかし、本当に大切なのはその文章の持つ意味なんです。一度覚えたものを繰り返し演じるのではなく、台本を読んで、その度に考え直すわけです。漢字は、読めなくても意味はわかるでしょう。すると若い頃と、五十代では違いが出てきます。感動が違いますからね。つまり、一作一作同じ作品を重ねても、新しいものになるということです。
DS どのような修行をなされるのですか。
野村 修行中は、いろいろなことを身体で修得しなければなりません。そして装束を看て舞うことにも、面をかけて動かぬことにも慣れなければなりません。しかし、ある年齢を超えると慣れっていうのはいけないんじゃないかと思うんですね。
例えば、慣れた芸、慣れた舞台というのは、お客様に感動を与えることができるわけではないんです。まず、慣れなきゃいけないんですけど、舞台に上がった以上は新鮮でなければ、フレッシュでなければいけないわけです。十回舞ったものでも、初めて舞うがごとく舞う。これは本当に難しいことです。そのためには、常にいろいろなものを観て聞いて、摂取していくことです。そして、ものの善し悪しがわかったら、自分の選択で捨てていけばいいのです。
修行というのは、舞台だけに限らず社会人現代人として生きるということではないかな。それが即ち現代の舞台に生きるということだと思うんですね。
美しい姿で老婆をも演じるところに、能の美学があります。
DS どのようなきっかけで、狂言から観世流の能へ移行なされたのですか。
野村 能や狂言はだいたい六歳ぐらいまでに初舞台を踏み、舞台や楽屋に馴染んでいくわけです。私も狂言師の父、万歳に伴って楽屋に出入りしていました。すると、能と狂言はいつもペアで上演されますから、知らず知らずのうちに能の囃子の音色も謡いも聞こえま
す。そのうちに次第に能の方に魅了されていったんですね。
DS 観世宗家に内弟子として入門されたのはおいくつの時だったのですか。
野村 十五歳の時でした。観世宗家に内弟子として入門してみると、その稽古は今までやってきた狂言の稽古と全く違うわけです。私の父は、鉄拳教育、言い換えれば愛のムチだったんですが、観世宗家は教えない稽古なんですね。しかし、教えなくてもできなくてはいけない。つまり、盗めということなんです。初めはその盗みの初歩すらわからなかったものですから、非常に苦労しました。そして、だんだん盗みの要領もわかってきた頃に父の鉄拳教育と、教えない教育とどちらが厳しいかなと考えたことがありましたね。
子供のうちは、殴られる方が痛いから、厳しく思いますが、詰め込んでくれるわけです。ところが教えない稽古は、何も教えてくれないわけですから、ずっと努力がいりますよ。しかし、その教えない稽古をがまんできたのは、父から受けた鉄拳教育のお蔭なんです。殴られた痛さをこらえることから、何事にも耐える訓練を受けていたということですね。
DS 能と狂言の大きな違いとは何でしょうか。
野村 一言で言えば、狂言は対話劇、それも喜劇です。能はどちらかと言うと音楽舞踊ですね。だから、マイムが全然違います。狂言の場合、歌を歌うとすれば、現代風に言うと宴席でカラオケを歌うといった感じです。
能の場合は音楽と舞を中心にした独特のものです。それでは能は歌と舞の要素を持った音楽かというと、そうではないんです。では、舞踊ですかというと、そうでもないんです。その両方を兼ね備えた独特の芸能が能なんですね。他のものとは非常に比較しにくいものですね。ですから、音楽舞踊劇という意味不明な表現になってしまうのです。
DS 能の魅力、また能の美しさというのは、どこにあるとお考えですか。
野村 能の美学と申しますか、それはやはり装束と能面といった外側の美しさと、内側の心ではないでしょうか。例えば、百歳に足らんとする小野小町を表現する時にも、いろいろなやりかたがあります。背中を真直に伸ばして表現するのもいいでしょう。背中をぐっと曲げて表現するのもいいでしょう。
能は、リアリズム演劇とは違い、物事を抽象化して表現しますが、心の中にはリアリティがなければいけません。能は、心まで抽象化してはいけないんです。心まで様式化してはいけないんです。つまり、形や様式を通してリアリティを訴えるわけです。そこに能の美学があると言ってもいいでしょう。美しい姿で老婆をも演じるということですね。
DS 確かに背中を伸ばした美しい老婆というのはリアリズム演劇では到底考えられない世界ですね。そのような能独特の思想が、当然舞にも現われてくるのですね。
野村 能の場合、踊ると言わないで舞うと言いますが、踊るというのは跳躍的ですね、舞うというのは、地上的です。ですから、バレエは踊りになるんです。もちろん能も跳んだり跳ねたりしないわけではないんですが、いかに地についていくかということなんです。つまり、大地に根をはやしたように立たなければいけない、荒れ狂ったハリケーンがきて小枝が揺れていても、大木は揺れないという考え方を理想としているわけです。能の舞は、やはり地上的と言えるでしょう。
架空のものを心の中で創造し、表現の世界を広げていきます。
DS 様々な物語を舞で表現するポイントとはどこにあるのでしょうか。
野村 つい先日、羽衣の松のもとで「羽衣」を演じる機会をいただいたのですが、その場合も、天人になるといってもなれるわけないですね。ですから、自分の体の中、心の中に天人を創造するわけです。それがまず創るということなんです。自分の体の中に創造し得なかったら、演じることはできません。どんな役もできません。
つまり能というのは全て演じる人の心にあるわけです。心にあったものが演技になり、そして、心を言葉で伝える。これほど難しいものはありません。創造の世界には言葉を超えたものが存在すると言えますかな。
ですから、私達は他の演劇ではできないもの、草花、天人、鬼畜の類、トラも竜も演じることができる。これは能だけの専売特許なのです。もちろん幽霊が出てくるものは他にも沢山ありますけどね。しかし草花が主役というのは他にはないですね。また、そういう世界だからこそ何もない舞台に具現できるんですね。
それから、700 年も1000 年も前の人物を表現するときには、例えば「伊勢物語」や「源氏物語」、「平家物語」などを読むことによって時代背景とか人物を想像する。また歴史的にはっきりした事件は書物などで勉強することによりその人物像を表現することができます。
DS 能にとりあげられる題材やテーマにはどのようなものがありますか。
野村 簡単に言いますと神様が登場するもの、神話にまつわるものですとか、昔の名将や武将を描いたもの。戦いに破れ入水して死の世界から妻の枕元へ現れるといった武士をテーマにした作品群ですね。
それから宮廷の貴婦人、泉式部とか羽衣の天人、六条の御息所などの「葵上あおいのうえ」という世界に生きる女性たちを扱っているもの。
もう一つは、いわゆる現代劇でも成り立つような生の人間のある事件をテーマにしたものがあります。良くご存じの「安宅(あたか)」、歌舞伎で言う「勧進帳」もその一つです。義経と弁慶らが南都東大寺の勧進を装い、うまく関守の厳しい詮議をかわし、関所を超えていく。その時間だけをテーマにしていくんです。そういったいわゆる比較的、現代のお芝居に似た説明的な作品というのもあります。
それから先ほど言った、鳥獣、鬼畜の類ですね。
DS それらの物語が全て生と死というテーマで表現されていくのですね。
野村 そうですね。大きなテーマとして「生と死」になります。
能面には、人間否定の意味が込められているのです。
DS 衣装にはどのようなものが使われているのですか。
野村 能の場合は衣装ではなく装束と言いますが、種類は数限りなくありますね。ほとんどが普の宮廷衣装、あるいは庶民の姿を舞台衣装化したものです。能の装束は有職系の宮廷衣装ですとか、武士階級の衣装などの系統が多く、当時の一般的な庶民の衣装は狂言の装束になっています。
能と狂言は、扱う人の対象が違いますからね。素材も、能は綿が主に用いられていて、狂言は麻が多いのです。江戸時代に、庶民が贅沢をしすぎて絹禁止令が出されたことがあったそうですが、それでも「能役者には妨げず」というおふれが出たそうです。
能では、女性の役で舞台に登場する時など、今の金額にしますと三百万円ぐらいのものを看ているんですよ。また値段のつかない高価なものもあります。このように能はとても贅沢になってしまいましたね。
DS 装束も素晴らしいですが、演劇のなかで、世界を見てもこれほど様々な仮面が用いられているものは他にないと思いますが。
野村 そうですね。能面は、現在使われているもののほとんどが安土桃山時代までに創作された形そのままなのです。安土桃山までは、創作期と呼ばれる時代で、その後、今日までえんえんと摸索期が続いているわけですね。江戸時代にも創作的な面もありましたが、結局それらはあくまで特殊面としてしか存在しないんです。
DS 面によって表現が大きく変わっていくのでしょうね。
野村 「能面のような無表情」とよく例えられますよね。あれは無表情ではなくて、いろいろな表情を表現するために、一見無表情に見える顔に造ってあるんです。喜びもあれば悲しみもある。
「中間表情」と言われていた時代もありましたが、私は、中間なのではなくどちらかに片寄っていると思っています。例えば憂いがかっているとか、笑みがかっているとかね。そこに面の個性があるわけです。つまり、無表情ではないということですよ。
いろいろな表情を含んでいる面は長時間に耐え得ますね。また、それとは逆に瞬間表情というのがあります。怒った時のワツと口を開いた瞬間の表情を捉えたもの。これは長時間もちませんね。
DS 上を向いたときと下を向いたときの表情に違いがあると開きますが。
野村 「照る」「曇る」と言うんですが、「照る」は喜び、「曇る」は悲しみと一般的に言われています。同じ面が嬉しそうに見えたり悲しそうに見えるのは、演者が身体を通して表現するからです。
また、光の使い方でも、表情が変わりますね。光は影をつくりますからね。しかし今は一定の光の中で演じることを建前としています。それは役者の心の光影が面を通して出るわけですから、それを外部からの光でやってしまうと、演技しないのに外側の光が勝手に演出していることになります。
最近再び脚光を浴びている薪能は、屋外で薪の光を使ってやりますので、それなりに演技方法も変わってくるのです。ですから単に普通の通りやっていればいいというものではないんですね。そういう背景も景色も自分の演技の中に、全て取り込んでやることが大事です。
屋外で行われることが少なくなった現在の能は、逆に昔の姿のままではなく、そこに新しい知恵が必要になってくるのではないかと思うのです。屋内的な演技が身に付いてしまっていますからね。
DS 能面が用いられる第一の理由は、いろいろな役柄を表現するためですか。
野村 それも一つにはありますが、人間否定というのが第一の理由でしょうかね。一度人間を否定してまた人間に変わる。
歌舞伎の隈取とは意味が全く違うんですね。東南アジアやアフリカにも、仮面をかぷることで神や悪魔、それから祈頑師になったりして、自分を呪術するというのがあります。そういういわゆる人間否定とはちょっと意味が違うかもしれませんが、いずれにしても自分を呪術するための一つの行為なんですね。
ですから、私たちは非常に能面を事にします。まるで武士の刀のごとく扱います。面をかけるときも一礼して、面の気持ちが自分の心に入るように、鏡の間と呼ばれる部屋でじっと精神統一をして面と対決する時間があるんです。
役作りは二つの面を持っていると言ってもいいでしょう。面と自分がどこかで対決している部分があるのです。また、反対に自然に乗り移っている部分があるかもしれません。形相のすごい面をかけていたとしますね。すると面の中で優しい顔はしていないんですね。もし面をパッと取ったら、ややそれに近い顔れているとかね。そういう乗り移りかたをしているわけですよ。ですから発声する時もそのような顔をしているかも知れません。
舞うとは、廻り行く人生観そのものですね。
DS 今後、能楽の世界は、どのように変化していくと考えていますか。
野村 私は、やはり世阿弥時代の、次々と新作を生み出した頃のエネルギーをもう一度復元して行かなければならないと思います。古典と言うと古いというかとしれませんが、今も生きているから、古典と呼べるんですね。過去に消滅したものは、古典とは言えないでしょう。また、そう言えるような証をしたいですね。600 年の積み重ねというのは、並大抵のことでは揺らぐものではありません。その尊厳を土台に私達は、大いに脱皮を図っていきたいと考えています。
DS 一つの役を時代によっていろいろな人が演じて行くのですね。
野村 ですから、作品というのは、例えば世阿弥作、誰誰の「井筒」というようになるわけです。ただ役にべったりとついていたら、世阿弥作というだけ、主演誰誰となっても作品ということにはならないんです。時代もありません。一作一作を自分の作品にしていかなければならないですね。私も野村四郎の作品と言われるようになりたいと思っています。
そして、役者は最後には役を超えていくのです。役の中にべったり入って、いかにも成り済ましたようにお芝居していますよというのでなく、本当のものはお芝居の役を超えているんです。そういうのを私も一度見たことがあります。「すごい」と思いましたね。なかなかそういうものにはならないですね。
佳境に入ってフッと見ると、そこにはただ主役の人が立っているだけ、といったような世界が奥の奥にあるような気がします。見つけようとして見つかるものではないと思いますが、偶然ある瞬間にそういう世界に入れる名人もいるんじゃないかと思いますね。
DS 今回は「舞う」というテーマを取り上げているのですが、大きな意味で捉えると、「舞う」とはどのようなことであるとお考えでしょうか。
野村 私は、舞うということは廻(めぐる)ということではないかと思います。廻る、つまり回るですね。能の舞台の動きは直線運動と曲線運動の二つで構成されていて、その曲線運動の舞いが、何か回るという感じがするんですね。そして回る時の曲線を活かすために直線をスッと入れていく。この直線と曲線で描いたものが回るのではないかと思います。それが舞うという世界につながるのです。
そして人間の一生も廻るということではないでしょうか。そういう観点では廻るというのが一番難しいですね。演技の直線というのはとにかく訓練すればできる。しかし、廻るというのは難しいですよ。ここしか動けないというギリギリのところを廻ってくる。あたかも人生観ですよ。遊びが多くてフラーッと廻っちゃいけないんです。それがどこかということを自分で選び獲得するには、完全にこの舞台の三間四方の空間を自分の体でもって知っていないとできないんです。
DS 人間の動作は直線と曲線の二つの要素ではほとんど説明できますね。
野村 そうですね。そして回るということは人間の動きの最大限に膨らんだ「心の膨らみ」です。ですから私達は両手を広げた時も、両手を降ろした時も、左手を差し出した時もいつも円形を好む、弓なりな円を好むんです。これは柔かさを出すためですね。硬質なものと柔質なものと織り混ぜ、あとは一切無駄なものは使わない。
また、廻るというのは上にあがることも意味します。舞台を平面だと考えずに縦の立面と考えるとどうなるか。やはり下、つまり手前に力がある。上にあがって一瞬ためらいがあって降りる時に加速があるんです。ちょうど遊園地のジェットコースターのようなものですね。これが能舞台の舞の動きです。そして、これが人間にとって、一番の快感なんですよ。もうワクワクしてくるようなね。
また、水墨画の濃いところと薄いところがあるように同じ色合いですべてを書かない。ようするに書と同じです。それから音楽と同じでどこまでを1フレーズとするか、それによって呼吸法が違ってきます。動きにも音楽にも1フレーズがある、そういう心を握る肉体、思考全てがあいまって足で表現していくのです。そして、私達役者は、いつまでも不動の姿勢のままで舞い続けるのです。能は歩行舞踊とも言えるわけです。
DS 最後に読者に能の楽しみ方についてアドバイスをいただけますか。
野村 能は、お客様の方にも非常に思考力を要求します。音楽と体だけで装置も何もないところに雪を降らしたり、桜の花びらを散らしたり、山を描いたりするわけです。無が有を生じてくるんですね。そこで創造を伝えるためには、花が散ってきたというように言葉と、音楽、動作で示します。そこでお客様にもわれわれと共に花が見えてこないと、役者と観客が一体となって行動することはできません。
お客様にも想像力を要求しているわけです。能独特の演劇の世界がここにあるんじやないかな。一緒に演技しているというのはおかしいかもしれませんけど、舞台と観客の境目がなくなるという意味です。普通の演劇では境目がありますが能にはありません。ですから、皆さんも豊かな想像力をもって、奥の深い能の世界を楽しんでいただきたいと思います。伝統芸能の中に、今まで感じることのできなかった新しい世界を発見できると思います。
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注:このインタビュー記事は、「DEC STATION 15 WINTER 1990」(1990年1 月1日 com日本デジタルイクイップメント株式会社発行 CPI Inc.制作)に掲載された。
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(2006 年11 月28 日 野村四郎サイト制作者:伊達美徳)